「断捨離すれば人生が変わる」。近年一種のブームとなったこの言葉は多くの人々に片付けへのモチベーションとシンプルな暮らしへの憧れを与えました。しかしそのポジティブな光は時にゴミ屋敷という深い闇の中にいる人々にとってはあまりにも眩しすぎ、かえって彼らを追い詰めてしまう残酷な刃となり得ます。なぜ「断捨離」という本来は前向きなはずの言葉が彼らを苦しめるのでしょうか。その理由はこの言葉が暗に「できないあなたはダメな人間だ」という強烈なメッセージを発してしまうからです。断捨離の根底には「自分の意思で不要な物を判断し手放すことができる」という主体的な人間像が前提として存在します。しかしゴミ屋敷の住人の多くは病気や心身の疲弊によってこの「判断する力」や「手放す力」そのものを失ってしまっています。そんな彼らにとって「さあ断捨離しましょう」という呼びかけは「なぜあなたはこんな簡単なことができないのですか?」という無言の非難として心に突き刺さるのです。テレビや雑誌で華麗に断捨離を成功させた人々の姿を見るたびに彼らは自分のできなさをまざまざと見せつけられ、自己嫌悪と無力感をさらに深めていきます。「自分は断捨離もできない落ちこぼれだ」。そうして彼らは片付ける意欲をますます失い自らの殻にさらに深く閉じこもってしまうのです。また周囲の人間が善意から「断捨離しなよ」と安易にこの言葉を使うことも本人を深く傷つけます。それは相手の苦しみの根本原因を理解しようとせずただ流行りの言葉を表面的に当てはめているに過ぎません。ゴミ屋敷の問題は自己啓発やライフスタイルの選択といった次元の問題ではないのです。本当に支援が必要な人に私たちは「断捨離」という言葉を使うべきではありません。代わりに必要なのは「何か困っていることはない?」という共感の言葉と「一緒に考えよう」という寄り添う姿勢です。言葉一つで人は救われもすれば傷つきもする。そのことを私たちは決して忘れてはならないのです。
「断捨離」という言葉がゴミ屋敷住人を追い詰める