「ごめん、今日はちょっと家が散らかってるから外で会おう」という言葉を、私は人生で何百回繰り返してきただろうか。友人たちが楽しそうに家でお茶を飲んだり、ホームパーティーを開いたりしているSNSの投稿を見るたびに、私の心には冷たい鉛のような塊が沈んでいく。私の部屋は、もう何年も前から「家」としての機能を失い、単なるゴミの集積所と化している。足の踏み場もなく、かつて何色だったか思い出せないフローリングの上には、コンビニの空き容器や期限の切れた雑誌、脱ぎ捨てられた服が地層のように積み重なっている。友人を招くなんて、私にとっては月に行くよりも現実味のない話だ。一度だけ、本当に仲の良い友人が「急に近くまで来たから寄ってもいい?」と電話をくれたことがあった。あの時、私は反射的に「今、実家に帰ってるんだ」と嘘をついた。電話を切った後、ゴミの山の中で一人、震える手でスマートフォンを握りしめながら、自分という人間がどれほど惨めで嘘つきか、その事実に押し潰されそうになった。来客を拒み続けることは、自分自身の存在を社会から消し去っていく作業に似ている。誰にも見せられない場所で生活することは、誰にも自分を知られたくないという願いと、誰かに見つけてほしいという叫びが矛盾したまま共存している状態だ。私の部屋にあるゴミの一つ一つは、孤独を紛らわせるために買い溜めた物の残骸であり、それを捨てることは、唯一の話し相手である「過去の自分」を捨てるような痛みを感じさせる。でも、その結果として手に入れたのは、誰も来ない、誰も呼べない、静まり返ったゴミの檻だ。夏になれば、どこからともなく発生した羽虫が飛び交い、冬になればゴミの山が冷たい湿気を吸って重くなる。こんな場所で私は、友人の笑顔を思い出しながら、冷めた弁当を食べている。いつか、この部屋に誰かを招いて「いらっしゃい」と言える日が来るのだろうか。その想像をするだけで、胸が苦しくなり、同時に吐き気がする。来客という言葉は、私にとって世界で一番美しく、そして一番残酷な響きを持っているのだ。
友人を呼べないゴミ屋敷の孤独な独白